私は、日本の神様とは、実在した人物が神格化された場合がほとんどではないかと考えるようになりました。葛城(高天原)にいた高天彦がタカミムスビに、同じくシタテルヒメ(タカヒメ)がアマテラスに。イザナギ・イザナミも瀬戸内の沼島に初めて住んだ夫婦が神格化されたのでしょう。では戦いの神・八幡神とは誰だろうと考えました。どうも応神天皇と同一視されてますが、実は応神天皇は、お母さんの神功皇后と違ってあまり武勇伝がないですね。どうも結びつかない。 で、この人ではないかと思ってます。 羽田矢代https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E7%94%B0%E7%9F%A2%E4%BB%A3『日本書紀』応神天皇3年是歳条によると、百済の辰斯王が天皇に礼を失したので、羽田矢代宿禰は紀角宿禰・石川宿禰・木菟宿禰とともに遣わされ、その無礼を責めた。これに対して百済は辰斯王を殺して謝罪した。そして紀角宿禰らは阿花王を立てて帰国したという。羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね) 波多八代宿禰(はたのやしろのすくね) 波多矢代 八多八代 八幡(やはた) 「矢」 「八」 いつしかこの武勇伝が応神天皇のものとされるようになったのではないか、と考えてます。
百舌鳥古墳群にある百舌鳥八幡宮です。 この神社自体が古墳の上にあります。 本殿と石室が繋がっていると聞いたことがありますが、 間違いないと思います。
このあたりの古墳群は5世紀前半~中頃です。 大王墓の近く、つまり側近で武人。 被葬者は羽田矢代宿禰ではないでしょうか。
近くに赤畑町、少し離れて八田(はった)荘という地名も残ってます。