応神の子宇遅能和紀郎子の墓らしきものがありません。
私は全国3位の上石津ミサンザイではないかと思ってます。
百舌鳥・羽曳野の大古墳は明らかに生前墓。
造る時期は皇太子になった時だと思います。
次期天皇イラツコさんのために大古墳を作り始めた。
ところがイラツコさんは天皇にならなかった。
困った。
次の仁徳にはイラツコさんの墓を超えるでかいのを作らないとがつかない。
そして世界最大の大仙陵ができた。
そう考えてます。
次の履中はお父さん時代の苦労を知ってますから、墓を造らず、お父さんと同じ大仙陵に埋葬されたとみてます。
つまり履中の墓は百舌鳥耳原南陵ではなく「大仙陵の南」だったと思ってます。
珍論かもしれませんが当たってるのではないかだろうか。